存在と時間――哲学探究1 (文春e-book)
によって 永井均
3.5 5つ星のうち(7人の読者)
存在と時間――哲学探究1 (文春e-book) epubダウンロード - どうして自分だけが私なのか、そして他人は私ではないのか。生み出される意識のうちの一つが、なぜ現実に感じられる私の意識なのか。なぜ意識できる意識は一つしかなく、意識できない意識が無数にあるのか。科学的にも宗教的にも説明が到達不可能な哲学上の難問に、古今東西の哲学者たちの思想を問い直しながら挑む。〈私〉の精神を〈私〉から他者に移動させてみる、あるいは時間を〈今〉から過去に移動させてみる、あるいは〈私〉の自我を2つに分裂させてみるといった思考実験によって「存在と時間」の深遠を探る哲学の旅。「文學界」連載「哲学探究――存在と意味――」に大幅な加筆修正をほどこし刊行。
存在と時間――哲学探究1 (文春e-book)の詳細
本のタイトル : 存在と時間――哲学探究1 (文春e-book)
作者 : 永井均
カテゴリ : 本
ファイル名 : 存在と時間-哲学探究1-文春e-book.pdf
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以下は 存在と時間――哲学探究1 (文春e-book) の最も正直なレビューです。 この本を読んだり購入したりする場合は、これを検討してください。
とても面白かったので、ぜひ多くの人に読んでもらいたいと思い、「永井均「存在と時間哲学探究1」の要約と感想」というブログを作ってみました。拙い内容ですが、興味があれば覗いてみてください。以下はそのブログからの抜粋です。-------------------------------------------この問いをこれほどクリアに打ち出した人が史上いたでしょうか。でもなんでこんな簡単な問いを、史上誰もクリアに打ち出せなかったのだろう(問い③)。ABCDEFGHIJの10人の人がいる。Zに、AからJの頭を順番に叩いてもらう。ABCDFGHIJを叩いたときは痛くも痒くもないのに、Eを叩いたときだけ痛い、という事実が端的に(忽然と)ある。これはなぜか(問い①)。不思議ではないか。Eとそれ以外に、物理的に、生物学的に、あるいはそれ以外でも、どういう違いがあるのだ。忽然とあるこれは何なのだ。史上誰も、問い①の(解ではなく)意味が理解できなかったと言うことだ。史上誰もが、問い①に対し、「それは私がEだからだ」と答えて満足したと言うことだ。「私がE」と「Eを叩いたときだけ痛い」とは同じことで、何の答えになっていないにもかかわらず。例えばZが、Eの口から発せられた「なぜEの頭を叩いたときだけ痛いのだ」などという(Zにとっては)とぼけた問い(問い②)(=だれでもが問い得る問い)に対し、「それはお前がEだからだ」と答えることとは意味がまったく違うのだ(なお、「口から」と「だれでも」の関係については「哲おじさんと学くん」75話参照)。問い①と問い②は180度違う問いであるにもかかわらず、ロゴスは、あまりにも自然に、問い①を問い②に変換する(私というだれでもの一員が、私という個人の口から発した問いだと理解する)。問うた人にも気づかないくらい自然に(ちょうどウキが、水中ではどんな向きであったとしても、浮かび上がった水面では、自然に、素早く、くるっと、どうしても同じ方向を向いてしまうように)。問い①をしっかり捕まえて、さあ考えようとしたとき、捕まえたつもりの問い①は、もう、手の中で、問い②に変わっている。それが問い③のある方向からの解でしょう。つまりこの方向からは、問い③に対し、それが本質的に不安定な問いだから、と答えられる。時間的に安定せず、複数人間(かん)での共有も拒む、本質的に「しっかり捕まえる」ことのできない、不安定で孤独な問い。問い①に解はないが、この問いの意味を徹底的に考え抜くことで問い③に答えることができ、問い①と問い②と問い③の相互関係も自ずと明らかになると、本書を通じて、永井さんは言っていると思います!
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